あけまして
おめでとうございます。

と、やはり言っておくべきなんでしょうと。

年末は、友人と麻雀などして過ごしましたが、激しく負け倒したので、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます。
年始はぼちぼちと、テレビ見たり、プログラム書いたりして過ごしています。

天皇杯の決勝は現地観戦しました。隣に座ってたレッズサポの姉ちゃんがガラの悪い人で、その口汚さに些か閉口した以外は、特にどうと言うこともありません。ガンバはあれだけ攻めて点を取れなきゃ、そりゃ負けるわ、という感じで、せめて西野朗は、勇気を持って中盤の構成を変える程度のギャンブルに挑んで欲しかったな、と思います。ピッチレベルではどうか分かりませんが、上から見ている限り、中盤の機動力が落ち始めた時間帯に、ガンバがレッズのボールの出しどころに徐々にプレスをかけられなくなってきてる時点で、どうにかすべきだったのではないかと。具体的に言えば、家長か二川、どちらかをあきらめるべきだったのではないのかと、そんな感じがしてなりません。レッズは・・・、あー、粘り強さ以外に見るべきものがありませんでした。しかし、そういう粘り強さを「常に」発揮することは並大抵のことではなく、チームの統一感や規律が、個人レベルにまできちんと浸透していることの証明でもあります。個人が高い意識を持って戦い、その中でブッフバルトが、適切な対応を取った結果が、このタイトルだと思うのです。そして粘り強く戦えば運が転がってきたりするのだ、ということを、現在、高校選手権を戦っている高校生諸君ならびにプロにもなってそんなことも分かっていないどこぞの選手どもには、ぜひ見習って頂きたいものだとも思うのです。

ヴェルディの契約更新、補強の話なども、そろそろ出揃ってきた感じです。
個人的に方針として「まず主力の残留。特にゼ・ルイスの確保が絶対条件。それから守備力のある左サイドバックの補強。あとは左利きのMFと、経験のあるCBを最低でも1人ずつ」ぐらいが戦力整備の目安かなぁ、などと思っていたら、本当にその通りに補強してやがってびっくりしました。
自分でも時々嫌だな、と思うのですが、要するに自分のサッカーに対する考え方・理想のサッカー像みたいなものが、恐らくもうずいぶん昔に設定されていて、それはまず間違いなく、非常に色濃くラモスの考え方に影響を受けている、ということを意識することがあります。そこにもちろん、後から他の指導者の考え方(なかんずく李国秀)の影響も受けているわけですけど、結局のところ、原点設定はそれだと。
そこを認めた上で、まあ、あーすりゃ良いのにこーすりゃ良いのにというのはもちろんあるのですが、最終的に「こうしたいんだろうな、選手にこうして欲しいんだろうな」というのは、何となく理解できてしまう。そういう微妙なシンパシーが、自分と今のヴェルディをつないでる何がしかなのであろうな、などと思うわけで。そうでなきゃ、何であんなツマランものを見なきゃならんのだと、思ってしまうのも当然なのですが。
ヴェルディのサッカーに対して、基本的にそれが「好きか、嫌いか」というのは、あんまりないんですよね。「良いか、悪いか」はある。だけど自分の中で他チームのサッカーには「面白いか、つまらんか」という基準しかない。要は他人事なので、相対的な評価の基準にはならないんですよ。
自分とクラブをつないでるものが何か、というのを無理に考える必要もないし、言語化する必要もないけれども、「なぜか」という問いに対して「嫌いになれないから」というのは、実はステキな答えだなと思ったりします。
世の中には、どれだけ言葉を重ねても理解し合えない人というのが確実に存在してるわけです。相手が単にホンモノの阿呆であったり、自分の思い込みが世界のすべてだと信じている人だったり、自分は世界一賢いから人の意見に耳を傾ける必要がないと思ってる人だったり、最初から人の話など聞く気のない人であったり、あるいはそのすべてであったり。
「話し合えば必ず分かり合える」という考えは、時には非常に傲慢な態度になり得るのだと思うべきです。言い換えれば「自分の押し付けを相手が妥協して受け入れてくれる」という甘えた考えや、「相手の方が自分より劣っているから、説得すればきっと従うに違いない」という見下した態度と容易につながったりするからなんですね。無論、それが必要な局面もあるし、そのときはそのときで、徹底的にやらにゃならんこともある。
だけれども、分かり合えないことを前提に、互いの距離を受容する姿勢も、時には必要なのだと思うのですね。「好きにはなれないけど、嫌いにならない程度に接しておこう」という感じといいますか。そうでないと、軋轢を増やして精神的によろしくないだけでなく、必要でない諍いを増やすだけであると、今の世界情勢なども鑑みつつ、ぼんやり考えてみたりもするのですが、要はクラブや監督の考えと理解し合えないのなら、それを受容できる距離を自分なりに探す、というのも、それはそれでサポーターの立ち位置としては、あって然るべきなのじゃないかなと。嫌いになれないなら、自分なりの面白さを探す、それで良いのじゃないのか、それはそれで、サポーターの醍醐味ではないのかと。
だからラモスのアレな感じを眺めていても、それなりに楽しみを見つけたり、「やっぱりそーだよな」と感じてしまうのも、自分としてはアリだと、そういう余裕を持って、今年のサッカーは見て行きたいなと、そんな風に思ってる次第です。はい。
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by eixeix | 2007-01-04 01:43 | サッカーとか。
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