仕事の合間に
三ツ沢まで車飛ばして、ユースの決勝を見てきました。
開始早々に、ガンバ右サイドから入ったクロスをニアで合わせられて失点。
それからはペースを作ってよく攻めたのですが、点を奪うことができませんでした。
0-1での惜敗も、内容的には良い時間帯もあり、少し運であるとか(2度もバーに嫌われるとは!)、ゴール前での工夫であるとか、その辺りがあればな、という感じがしました。
個別の評価はともかくとして、攻守ともに統一感があり、その点では時間が押し迫ってから、パワープレーに出たことが結果として良かったのかどうか、という気持ちもあります。
ただ各個人の成長のあとが見えた試合で、これから伸びそうな選手も見られました。
ここから冬にかけて、どれぐらいチームとして、個人として伸びてくるか、その辺りの楽しみを収穫としたいと思います。

それから、少しは自制してください(笑)。RE:RE:とかしようと思いましたが無限ループを恐れて止めます(笑)

さて。話変わって35万の立体模型。
ガノタと呼ばれる人たちの分類として、作品が多層化したのと同様に、ファン自体も多層化しているため、非常に多く分類されるわけで。例として、
「ファーストのみが神聖だよ」(富野喜幸原理主義)、「逆シャアまでがガンダムだよ。そしてジオン・ダイクンのもとに召されたよ」(赤い彗星派)、「Zの映画版は認めないよ」(島津冴子派)、「Vガンダムまでは認めるよ」(精神的ショタ派)、「Vガンダムは認めないけどシャクティは神聖だよ」(精神的ロリ派)、「W第一話のヒイロにいきなりやられたよ」(精神的腐女子派)、「Gガンダムもガンダムだよ」(東方不敗主義)、「ガンダムXという題名を見ただけでXXの登場を予想できたよ」(カテゴリーF派)、「種厨は氏んでいいよ」(原理主義過激派)、「メカが好きなだけだよ」(古典大河原邦男派)、「メカが好きなのでガンプラ作るよ」(バンダイ主義)、「むしろガンプラ作りこむよ」(バンダイ主義ホビージャパン派)、「すべてのプラモに神性が宿るよ」(タミヤ派)

などね。参考文献(笑)。

だから、というか。立体化された「モノ」に対しての思い入れというのは、作る過程を含めて愛するか、ただ表現主体の中においてのみ、その愛情を充足させうるか。もうひとつには、物語そのものとそこにあるセリフや精神性に比して、MSのような「モノ」を単に「ギミック」とみなすか、それ自体が物語と不可分であることを認めつつも、「すべて」ではない以上、遠ざけておくべき存在として、容認しつつも距離をとるか。
そこらへんで立ち位置が決まってくるような。
富野監督自身は、「ガンダム」という存在との距離感に苦労していそうだけれども。

つらつらと。
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by eixeix | 2006-08-05 23:14 | サッカーとか。
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