正しい判断
をするのは、常に難しい。客観的に正しい判断というのは不可能に近く、せめて自分の主観に寄り添うように判断するには、自分自身の研鑽の痕を持たなければ、薄っぺらくなる。
つくづく、難しい。
現政権の苦悩を眺めれば、「言ったことに責任を持つ」というのは、真っ当な大人の社会ですら難しいのだと思い知る。最も、言ってることの中身の妥当性を本人たちも周囲の人間もどれほど信じていたのか、という点については、少々議論の余地があるだろうが。

高木監督が解任された。
松田新監督については、育成畑の人間である、という認識だし、ベレーザの監督としての実績が印象深いが、Jではまだその可能性については未知数であるし、これ以上の評はない。

監督解任時期について「なぜ今?」という疑問の方が、僕にとっては大いに疑問だ。つまり「今以外にいつ解任すべきなんだ?」というのが僕の率直な意見だ。個人的には、真っ当な判断であると考える。昇格の可能性が消え、天皇杯も敗退した。これ以上、彼にチームの指揮を取らせる意味は何もない。
ここでは何度も述べているが、高木監督にはこれ以上、何のアイデアも残っていない。チームを前進させられない。それは「リソースの無駄」だ。クラブや選手とっては消耗であり、磨耗であり、害悪である。
若い選手たちにとって、あるいは契約の境界線上にいる選手たちにとって、残りシーズンは生き残りのための戦いになる。自分の将来を賭けた仲間同士での闘争になる。そこに評価基準を失った監督を置いておくのは、誰にとっても幸福な事にはならない。プロサッカーのピッチにおいて、変化を望まない敗北主義者に何の存在意義があるというのか。
新しい基準を設け、例えわずかでも、新しいパワーを引き出さなければいけない。そして最後まで戦い抜かなければいけない。それがプロの役目だと。

もちろん、シーズン当初から予想された苦境において、敢えてこの任を受けた高木監督の、その意思には感謝している。しかし同時に、彼の監督としての経験値の低さ、ディテールの弱さ、引き出しの少なさ、何よりチーム作りのルーズさを見るにつけ(若さゆえと見るべきなのかは分からないが)、この状況を託すには「ひ弱」だったと言わざるを得ない。さらなる精進と健闘を期待したい。

ここから先は、すべて逆境だ。
そこに立ち向かう意志こそが、クラブに求められているもの、まさにそのものだ。
だからこそ、この判断を祝福したいと思う。
逆境への抵抗が、鈍感へとすり替わってはいけないのだ。
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by eixeix | 2009-10-16 22:29 | サッカーとか。
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