国立で
ぼんやりした試合をぼんやりと眺める。
まっこと、今のヴェルディのやってる蹴球は、漠然とした、漫然とした、中身の詰まっていないシロモノであり、すでに良し悪しを論ずる段階にない。
守備の組織性についていえば、富澤がある程度サイドバックでフィットしており、サイドディフェンスに対するブレが少なくなった分、中央ブロックの作り方にバランスが戻った感はなくもない。が、実際のところ、早い時間に先制した甲府があまりリスクのある攻めに出てこなかったという部分もあって、裏に蹴ってマラニョンを走らせてくるだけなら、土屋ひとりで十分だろうという。
攻撃のひどさは目に余る。もちろん、甲府がしっかりしたブロックを作っていたというのがあり、その組織性であるとかプレッシングのバランスの良さが称えられるべきとは思うものの、如何せん、ヴェルディの攻めには速さと工夫が決定的に不足している。それは攻撃の「作り方」に規律がなく、個人任せで「なんとなく」やってるからで、効果的なランも効果的なパスも見当たらない。それでも前半、多少は見せ場を作れたが、後半にいたっては、相手ブロックの前にただパスを回すだけで、適当なハイボールを蹴っては相手にボールを渡す繰り返し。うんざりする。富所は何をするために投入されたのか。

パスは言語だ。パスはメッセージだ。
受け手に「何をして欲しいか」「何をすべきか」を伝え、次のプレーの選択肢を与えるのがパスの役割だ。それだけで伝わらないときには、日本語に翻訳し、理解し、コミュニケーションのレベルを高める。そのために日々のトレーニングがあるのだ。
今のヴェルディはピッチに言語を持たない。コミュニケーションが成立していない。
それは明白に監督の責任だ。チームの言語能力は、監督の言語能力とイコールだ。

新体制になり、強化担当は川勝さんだそうだ。この際、もうとっとと指揮を執られては如何か。
川勝さんの監督しての才をさほど高く評価しているわけではないが、少なくとも何一つ生み出す力をすら失った指揮官に、例え一試合たりとて預けておくのはクラブの残った少ないリソースを無駄にしているだけだ。
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by eixeix | 2009-10-05 00:19 | サッカーとか。
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