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たまにはポリティカルな話など。
こないだ、コンビニに寄ったら、雑誌棚に置いてあった週刊○日の見出しが「民主党革命」となってて、思わず失笑というか、冷笑というか、「オジサン達は自分たちで革命を起こせなかった事がそんなに悔しかったのか」と、むしろ哀れむような気持ちになってしまったりとか。

個人的には「生涯ノンポリ」を政治的信条としておりますので、選挙のたびに投票する政党も支持する候補者も変わります。断固たる浮動票であります。それを恥じたこともございません。
ですが、どういうわけか、選挙の勝ち組に投票することは稀です。
今度の選挙も「民主党には投票しない」と決めるのに、さして時間を要しませんでした。
根拠はそれなりにありますが、まあそこはそれ。どこに投票したかも申しません。




ちなみに、マニフェストは熟読します。興味のない政党のも、一応はきちんと目を通します。それで考えを変えることもありますが、今回はそうもなりませんでした。考えを固めるほどの提案があった政党もございませんでしたが。
簡単に感想を述べると
・民主党:長いだけで出来の悪い詐欺商法のパンフレット。
・自民党:中身がない。ちゃんと書け。真面目にやれ。舐めてんのか。
・公明党:戯言でお茶を濁すな。せめて笑いを取れ。
・共産党:柔軟路線への転換というより、自分たちの居所を作るだけで必死。
・社民党:寝言とうわ言をミックスして「ですます」調にしたシロモノ。
・国民新党:おじいさんが縁側でお茶飲みながら語る昔話のような。
・みんなの党:党名というのは重要。
・改革クラブ:衆院は無理。
・幸福実現党:幸福になる本を売って、白い会館作るだけで満足しとけ。
・その他:その他。
みたいな感じ。

選挙個別については、まあ小選挙区制だと、こんなもんなのかなー、とか。
不況になってさしもの共産党も「しんぶん赤旗」の売れ行きが悪くなってきて小選挙区全部に候補者立てられないのか、代々木のご大層なビルを見て貧乏人はモニョったりしないのか、とか、遠い目をしてしまいます。創価学会信者の皆様も意外と自由意思が強いのだと妙に感心したりします。自民党の比例に入ってた若手の涙目っぷりには憐憫の情を覚えて思わず苦笑いがこみ上げます。「小沢ガールズ」については恥ずかしすぎて目も当てられないので、当分、存在そのものを無視したいと思います。真正デムパにしてサイエントロジストとして名高い鳩山代表の嫁については、よりいっそう生温い目でヲチを続けたいと思いますので、週刊女性あたりは3ヶ月ぐらい自重してください。社民党は与党になって何をしたいんでしょうか?というかそもそも社民にとって与党になるメリットって何かあるんでしょうか?っていうかキサマらは今すぐ解党して共産党と改革クラブとみんなの党に議席を分け与えた方が社会的に見て害が少ないと思います。

なぜこんなエントリーをいまさら上げるのかというと、現在から将来にわたって、「少なくとも俺はあのとき、民主党に投票しなかった」とは言っておきたいと。だからなんだと言われると、ただそれだけなんですが。小泉郵政選挙のときも自民に投票はしませんでしたが。いや、郵政事業そのものは段階的民営化が必要だと考えてるクチなんですけども、そこにいたる手続きや、小泉氏自身の党内政治的な問題を摩り替えてる気がして、気に入らなかったというのはあります。単純にはそれです。今回、「民主党はダメだろ」と思ったのは、その政策に賛同できる余地が少なかったから、という理由なわけで。実際のところ、世論調査を見ても民主党への投票に当たって政策を最重要視した人は全体の1割ほどだったと伺っておりますので、まあ、これは自分の実感ともあってるように感じられます。夏のはじめごろから、選挙の話になると、特に年配の人ほど「今回だけは自民党を負けさせないと」という趣旨の事をサラっと仰るので、たびたび面食らったというか、「だから民主党なんですか?」と聞くと、もれなく「うん」という答えが返ってきて、さらに困惑したり。で、「あ、そうなんですかー。僕はまだ決めてないんですよ」とお答えすると、今度は向こうが怪訝そうにするという、その繰り返しだったので。世間的にはそうなんだー、と、そんな感慨もございました。

「小泉郵政選挙の時は小泉の人気が自民党の人気を上回ったがゆえの自民党圧勝劇だったが、今回の民主党圧勝劇は鳩山人気を民主党人気が上回ったのみならず、民主党人気を自民党不人気が上回ったからである」という論には首肯せざるを得ないと。実際、マスコミの反応を見てても民主党の組閣も決まらん情勢にあっては、いまだ打落水狗が如く自民党の惨状を伝えてますが、傍観しているに「なぜ自民党が負けたか」を語る人は数あれど、「なぜ民主党が勝利したか」は自民党批判と接続してしか語れない。そこに「比較」はないので、「二大政党制への足がかり」という言葉は酷く空疎なものに思えます。

民主党にまったく期待していないわけでもございません。が。
公約の項目が相互に矛盾したり、5秒で揚げ足とられそうだったり、「誰得なんだ、その公約は」というシロモノもあったり、自民党政権の時はあれほどまでに「ブレたブレた」と煽りまくっていた一部マスメディアの皆様が、民主党には今からわざわざ「現実的な対応を模索すべき」とか体面が傷つかないよう予防線を張ってくれていて涙ぐましいほどの努力だなと思いつつ、空気読まずにやっちゃいそうだなー、と思っちゃったり。
「政治家にとっての最悪の間違いは、すぐに失望を招く根拠なき期待を国民に向かって主張する事。」と述べたのは、サー・ウィンストン・チャーチルだったかしら?

ともあれ。
むしろここまで、既得権益どっぷりで馴れ合い政治ショーのお先棒を担ぎながらも、「自民党」という明瞭で巨大な「敵」を形式的に「批判」することで「政治の監視者」という面目を辛うじて保ってこられたマスコミ各位は、今後の立ち位置と本当の意味での政治的な分析・批評能力が問われるようになりますよ、と。
そっちの方が今から楽しみです。まったく期待してないですけど。
日経が選挙後に「自民党の「御曹司三人政権」に特段の失政はなかったが、疲弊して人気が落ちてんのに空気読めずにグダグダやってるからだ」とぶっちゃけてたのには「おいおい・・・」と思いましたが。ていうか今度の首相も筋金入りの「御曹司」なんですが。その辺どうなんですか。
まあダメなままならそれでも良いし、個人的には笑いのネタにもなるけれど、そうなると今度は、長期的に見て(主に政治的な観点からは)既存メディアは何らかの形で淘汰されていくしかないよなー、という。少なくとも社会の中における情報源として、一次リソースとしての価値は残るとしても、「高い倫理観をもち、言論・報道機関としての責務を全うすべく努力します。国民の知る権利に応えるため、いかなる権力にも左右されず、言論・表現の自由を貫き、新聞をはじめ多様なメディアを通じて公共的・文化的使命を果たします」なんてもの求める人はますます少なくなってくんじゃないかなぁ。今でもいるのかどうか疑問だけど、単純に興味を失っていくだけだもの。20年先も夜のニュースで司会者の横に座る新聞の解説委員が「社会的に権威ある公平かつ公正な見解の提示者」であり続けるなんて考えてんだとすれば、馬鹿丸出しと言って良いかと。
ネットがそれに代替しうると思うほどには楽観的でもないけれども、そもそも論として「マスメディア」という存在の必要性やありようそのものが疑問視されるようにはなるかも知れませんね。あ、日本で、という意味ではなく。世界的に見て。まあ、形は分かりません。相変わらず似たような事やってる可能性もありますけど、だとすれば相対的に見て「商業メディア」の地位が低くなってくることは仕方ないだろうと。
だからまあ、結局のところ、イデオロギーでも利権でも良いから、自分らの基準の上で自分達の気持ちの良い言論を作って、それを気持ち良いと感じる人たちを寄せ集めて商売して、それが上下左右の形で部分的につながってという形がネットの中から違う形として構築されうる事はあるんだろうな、その方が親和性もあるんだろうな、みたいな。ただし今と違うのは、そこに賞賛や賛同は少なく、全方位的な批判や非難や中傷を公然と加えられるのだ、という点であって、それに対する覚悟を示すべきだろうと。

ただ個人的に思うに、ワイドショーとかでやってる、スポ新や夕刊紙の記事ネタで語るコーナー、あれ、やめれば良いのにね。「テレビの取材能力はゴシップ紙以下です」って、自分たちで恥さらしてるだけに見えるんだけど。

政治はショーとして大変面白いので、第三者的に見ると楽しくて良いんですけど、手前の生活に跳ね返ってくるので、せめて迷惑かけない程度にやってくれよと。まあ、何らかの形で跳ね返ってくるんだろうし、跳ね返ってこないと政治に対する評価は確定しない、ともいえるし。その結果として何らかのバランス感覚が醸成されるかもしれない、と言う事は一応出来る。参院選にどういう「バランス感覚」が働くかは分かりません。そもそも、日本人の「政治的バランス感覚」について、私は大変に懐疑的ですので。

長い割には、特に何も言ってないですね。
そろそろ秋ですね。
by eixeix | 2009-09-09 02:36 | 日常とか。
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