今日になって
モーニング読んだわけですけど(木曜日にここのブログは読まない。ネタバレするからw)。
アトさんも触れてるんですが、サッカーファン的には一応読んでおります「GIANTKILLING」に関しては、「何か足りない」みたいな感じがどうしてもしちゃうわけです。
嫌いってわけでもないんですけど、アトさんが前に言ってたみたいに、サッカーてのは「監督」がより前面に出てくる、「監督の技量」を競うスポーツって側面が、他の競技よりも強いと思うわけですね。だとすると、翼くんみたいなのではなく、「普通のアスリート/普通のスポーツ」(?)としての選手・サッカーを描きたければ、反面として監督の思想や哲学や持ってるメソッドを丁寧に描かないと「チームが強くなる/弱くなる」事の説得力がなくなる。それには周囲の環境が「そうさせてる」面も描き出す必要が出てくる。でも何でかそこんところはこれまでのサッカーモノと大して変わらず「通り一遍」ていう印象がずっと拭えないので。目先が違うだけなら能田の「ORANGE」の方がよほど画期的だったと思うんですけども。
普段はJリーグとか見ない人には、むしろ「タイガーショット」とか「ファントムドリブル」とか出ない分、画期的に映るのかなぁ、と。そして普段からサッカーを観戦することに慣れてる人にとっては、「そういう感じ、分かるなあ」みたいな共感を得るのでしょうけれども。

何が物足りないって、タツミという監督に、名将である(あるいはこれから名将になる)人物としての「説得力」が決定的に欠けてる、と思うんです。ぶっちゃけ、タツミの言う言葉に論理性が乏しいから。
選手に「なぜ?」と思わせる監督では、絶対にチームを強く出来ない。
チームとタツミとの関係描写で、常にそこに違和感がある。
納得しなければ人は動かないけど、納得させる言葉に論理性が乏しい。そこが不満。
スタメンを相手に合わせてサカつくかWCCFよろしく並べて、相手の弱点をビデオとホワイトボードで説明して、「オマエラの力があればやれる!」ってハッパかければ強くなるなら、どんな監督もクビにはならないし、一度や二度ならともかく、長丁場のリーグ戦ではマンネリだし。「弱いチームが強いチームを如何に倒すか」という話をコネても「強いチームを如何に作るか」という話にはならないんだよなぁ。
個人的意見として、監督の力っていうのは、3つの能力、つまり、効果あるトレーニングメソッドを構築する創造力と、そのバックボーンにあるサッカーの捉え方・考え方の論理性、その結果として生まれてくる選手の力をどのように判断するか、という評価基準に集約されると思うんですね。選手起用なんて、半ば結果論でしょうよ。
で、そういう部分を、思わせぶりなタツミの「印象」で描いてるけど、そこはすでに飽きてきてて。「実は作者も考えてないだろ」と思い始めてるんですね。それこそシーズン前のキャンプを丁寧に描きもせずに、どうやってチームが強くなってることに説得力を持たせる気だよ?という連載開始当初の疑念が払拭されないまま、今日にいたって深まるどころか浅くなってきてるので、ツラツラこんな事を書いてみた次第です。
まあ、凄い難しいと思いますよ、サッカーの監督業を描くのって。だからこそ期待して見てるんですが。せめてもう少しハッタリを効かすとか。詳しく描き過ぎて突っ込まれるのがイヤなのかなぁ、とか。どうなりますやら。

違和感と言えば。



フィリピンから来たカルデロン一家のお話とかを、最近、テレビとか新聞とかで見聞きしてて、妙に違和感が。
いや、当初はあんまり関心なかったので、ニュー速+でスレがやたら乱立してても「何をそんなに盛り上がっておるのだろう」と不可解に思うぐらいだったのですが。
今日になって、娘さんを残して両親が退去決定とあいなったらしく、ついでにぐるーっと見て回ってたら、新聞各紙の社説が凄いなぁ、と。

朝日 「フィリピン家族―森法相はここで英断を

毎日 「カルデロンさん 親子在留を許すべきケースだ

日経 「一家の在留に首相の決断を

産経は少し違う論調
フィリピン人一家 同情と法の運用は別問題
だけどまあ、産経だしなぁ・・・。

読売は直接触れてなかったけど、「定住外国人 日本語教育の支援も課題」という辺りで、とりあえずアプローチしてみたのかな、という感じ。

んー。
もちろん、一家に同情すべき点は多々あるし、一人残される娘さんに気の毒だとは思うけれども、「偽造パスポートで不法入国」って時点で、いやそれ、普通にダメだろと。しかも最高裁が強制退去処分に関する取り消しの申し立てを棄却してるわけで、法律的にはきちんと手はずどおりに進めている政府や行政が非難される謂れはないように思うわけですが。
なぜか上記の3社は「そこは法律を曲げろ」という話を持ち出していて、そこが非常に「?」なところでありまして。
なんつーか、あんまりこの手の話をすると、ポジショントークに持ち込んでんじゃねえかとか、色々思われるのもあれなんですけども。
つまり「法律を曲げるべきだ」という根拠は、
・娘は日本語しか話せない。
・両親は地域社会に溶け込んで平穏に暮らしており、犯罪組織とも関係してない。
・とにもかくにも人権的に、両親と子供を引き離すなどもってのほか。
という辺りのようで。

入管の提案としては、
1.両親が自主的に出国するならのり子さんだけは在留を認める
2.自主的に出国しない場合は一家を強制送還する
ここまで滞在期限を延長し、かつ、両親の短期での再入国にも配慮する旨の声明も法務大臣から出されているとなると、ギリギリの譲歩案だと思うんですよね。

いや、正直なところ、かように一部マスメディアが何ゆえにカルデロン一家にここまで肩入れするのか、私にはイマイチよく分からないわけです。
呆れたのは毎日かな。

 出入国管理は厳正に行われるべきだ。が、実務上あいまいな面もあり、毎年1万人近くが日本人の配偶者となったことなどを理由に在留特別許可を受けてもいる。単純労働は認められないのに、実際には来日外国人の労働力を当てにしている職場が少なくない。不法滞在の取り締まりを徹底する態勢が整っているとも言いがたい。のり子さんが教育を受けてきたのも、行政が不法滞在を容認していたからだとも解釈できる。
 一家のように犯罪集団などと無縁に勤労、就学を続ける来日外国人については、不法入国・滞在をいつまでも問題視せず、一定のルールを作って正規に受け入れるべきではないか。国際化時代の社会の要請にも合致しよう。真実の権利関係と違っても一定期間継続した事実があれば、法律効果を認める民法の時効の考え方を援用すればいい。善良な市民として長年居住する来日外国人は、在留を認められてしかるべきだ。

・・・突っ込みどころが多過ぎて突っ込めないんですけども。これほどまでに論理的思考が欠如した物悲しい文章を、何十万もの人々が読んでいるという事実に、驚嘆すら覚えます。
ハッキリ言えば、薄気味悪い。この「同情」感は、下賤で、偽善的で、移民を見下した非常に差別的な「かわいそう」論だと思うんですけどね。
また某紙に担当の弁護士さんが登場して、カルデロン一家に対する非難に対しては「外国人を排斥したい人たちだ」という旨の発言をしていたため、「いや、それはあなたも言いすぎでしょ」と思ってしまうのですよ。
こういうのって、客観的な平等性こそが重要なんじゃないんですか?

私の知人や友人の外国籍の人にも、貧しい国からでも、ちゃんとしたパスポートで入国し、ちゃんとビザも取り、ちゃんと働き、または学問を修め、社会に貢献している人たちは幾人もいるわけです。彼らの意見を是非とも聞きたいところではあるのですが。
フィリピン政府にしたところで、そりゃ一説には外貨の3分の1を海外への出稼ぎ労働で稼ぐ国と言われてますから、移民に関して色々とあるんでしょうけれども、「偽造パスポートが簡単に手に入って出入国も簡単」とは思われたくなかろうし、まして「不法移民の輸出国」なんて言われ方も本意ではなかろうし、「フィリピンに帰るのは人権侵害」などと言われたくもなかろうし。

でね。
引っかかるのは、この問題が、つまり労働人口の不足による移民問題と絡めて語られる事なわけです。
将来的に移民の問題があるという前提であればこそ、入国管理は厳正にされるべきであって、偽造パスポートによる定住などおいそれと認められるわけがないんじゃないのか?と。
まして「欧米では」と都合よく語られるのにも違和感が。いや、移民問題って欧米でも見直しとか、時々の情勢で移り変わるのに。

そこからもう一歩進んで。
私個人の意見として、いわゆる「多文化共生」の構想や概念って、ある種のイデオロギーじゃね?という。つまり「民族国家」→「グローバル化」→「多文化・多民族国家」ってのは、「発達した資本主義経済は社会共産主義経済へと移行する」っつーマルクス主義の経済発展段階説と似たようなもんじゃね?みたいな。
イデオロギーのありようそのものを否定したいわけではないんですが、イスラム国家に「アメリカ民主主義」を押し付けるのと同程度には違和感を覚えますね、多文化共生概念の発展形態ってのは。そんな単純なら誰も苦労しねーし、アフリカではたかが部族が違うって程度で女子供まで殺す殲滅戦やったりとか、イスラエルは何発かのロケット砲の仕返しに市街地に爆撃かましたりとか、隣の国が「日本海じゃイヤだから東海にしろ」とか世界中の地図会社にメールボム送り続けてるとかいうこのご時世に、「すべての民族が平等に互いの文化を認め合って共生できる社会」が成立し得る論理的根拠を提示してみろコノヤロウ、って話ですよ。

じゃあせめて、法律に縛られて生きようじゃないですか。そうすりゃあ、まあせめて、隣の人には迷惑かけずに生きられるだろうし、最悪でも家族は悲しまずに済むし。
3人の家族が不幸になったのは、とても悲しむべきことだとしても、それを教訓にして、きちんと入管の取り締まり体制を強化するであるとか、フィリピンへの経済支援や教育支援のあり方を考えるとか、そういう提案こそあるべきなんじゃないですか。「法を曲げろ」と叫ぶ前に。「カルデロン一家の国外退去を唱える人はレイシストだ」とレッテルを貼る前に。

そうでないと「悪人とは思われたくないから、『人権』って単語を使って擁護してみよう」みたいな薄っぺらい人権意識を見透かされて、本当に守るべき人たちをないがしろにし、悪いことを考えてる人たちにつけこまれるだけだと思うんですけどねえ。
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by eixeix | 2009-03-13 23:14 | 日常とか。
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